金大中事件韓国が日本に謝罪?

素直に謝罪する気あんのかな?




金大中事件、韓国が日本に謝罪へ 26日にも


韓国政府は25日、73年に東京で起きた金大中(キム・デジュン)氏拉致事件について、日本政府に事実上の謝罪を行う方針を決めた。26日にも柳明桓(ユ・ミョンファン)駐日韓国大使が高村外相に伝える。韓国の情報機関、国家情報院の真実究明委員会が24日、当時の情報機関・中央情報部(KCIA)による事件への組織的関与を認める報告書を公表したことを受けた。日本政府は韓国側の謝罪を受け入れる見通しだ

複数の関係筋によれば、韓国政府は25日夕、大統領府で関係閣僚による対策会議を開催。日本側が「韓国政府の公権力による主権侵害が明らかになり、73年と75年の政治決着の前提が崩れた」として、謝罪や事件の再発防止、関係者の処罰を非公式に求めた案件について対応を協議した。

そのうえで、日韓関係が悪化し、11月21日にシンガポールである東アジアサミットの際に開かれる見通しの日韓首脳会談などに悪影響が及ぶことを憂慮。問題の早期解決を図ることを決めた。

謝罪の具体的な表現は明らかになっていないが、宋旻淳(ソン・ミンスン)外交通商相や千皓宣(チョン・ホソン)大統領府報道官が24日に表明した「遺憾の意」を、日本側に直接伝える内容になる見通しだ。

再発防止も約束する一方、再調査で事件への関与が明らかになったKCIA要員らに対する処罰については、日本側が求める捜査協力に応じることが難しいとの考えを伝える見通しだ。


ソース・asahi.com
http://www.asahi.com/international/update/1025/TKY200710250422.html

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と朝日は伝えているが、そこはほら、我々の常識でははかれない「斜め上」のお国柄ですから、以下のようなニュースも出てきました。




◆日本の謝罪要求 韓国究明委が批判 金大中事件報告

韓国の情報機関、国家情報院の真実究明委員会は26日、金大中(キム・デジュン)氏拉致事件(73年)に同院の前身である中央情報部(KCIA)が関与したことを認める報告書をまとめたことを受け、同院で記者会見した。日本への主権侵害に対して韓国政府としての謝罪を求める声が出ていることについて、安秉旭委員長は「日本は、韓国政府の関与を知りながら政治決着した。(今になって謝罪を求める)日本政府の態度は遺憾に思う」と批判した。

安氏は、調査過程で日本側から同事件の再調査中断を促す意向が間接的に伝えられたとし、「日本は我々の調査に協力しなかった」と不満を表明。「当時の韓国政府が公権力関与を発表しなかったから政治決着した、とする日本の弁明は受け入れられない」と不快感を示した。安氏は、報告書は国情院としての同事件についての最終見解だとの見解を示した。

ソース・asahi.com
http://www.asahi.com/international/update/1026/TKY200710260191.html



まぁ、普段から日本に対しては、ことあるごとに声高に謝罪を要求するばっかりですから、逆に謝罪を要求されるのは慣れておらず、さぞ「けったくそ悪い」のだろうと推察しますが…

「日本国内で諜報機関(KCIA)が自国の政治家を拉致監禁し暴力的措置で本国に連れ帰った」わけですから、これはどう考えても日本の主権に対する侵害行為です。


で、この金大中事件ですが、事件発生当時子供だった私ですが、テレビニュースが大騒ぎしていたことだけは記憶に残っています。(年がバレるよなぁ…)



どんな事件だったかというと…


Wikipedia 金大中事件より抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

金大中事件(きんだいちゅうじけん)(または金大中(キム・デジュン)氏拉致事件)とは、1973年8月8日に、韓国の政治家で、のちに大統領となる金大中が韓国中央情報部(KCIA)により東京都千代田区ホテルグランドパレス2212号室から拉致されて、ソウルで軟禁状態に置かれ、5日後ソウル市内の自宅前で発見された事件である。


(中略)

1973年8月8日午前11時頃、金大中は東京のホテル・グランドパレス2212号室に病気療養のため宿泊していた梁一東[ヤン・イルトン]韓国民主統一党(当時)党首に招かれ会談した。前年開業した同ホテル(東京都千代田区飯田橋1-1-1)は九段下の交差点を飯田橋方面に入ってすぐにあり、裏路地からは朝鮮総連に至近の場所に位置している。

午後1時19分ごろ、会談を終えた金は2212号室を出たところを6、7人に襲われ、空部屋だった2210号室に押し込まれ、クロロホルムを嗅がされて意識を朦朧となった後、4人により、エレベータで地下に降ろされ車に乗せられた。ホテルから車で関西方面(神戸)のアジトに連れて行き、その後、工作船(コードネームは龍金【ヨングム】号)で神戸港から出国したと見られる。朦朧とした意識の中「『こちらが大津、あちらが京都』という案内を聞いた」と金大中は証言している。

金大中は「船に乗るとき、足に重りをつけられた」、「海になげこまれそうになった」と後日語っている。しかし事件を察知した(当時の厚生省高官の通報によるとされる)アメリカの通報を受けた自衛隊が拉致船を追跡し、照明弾を投下するなどして威嚇したため、拉致犯は殺害を断念し釜山まで連行し、ソウルで解放したとされている金大中自身、日本のマスコミとのインタビューで、甲板に連れ出され、海に投下されることを覚悟したときに、自衛隊機が照明弾を投下したと証言している。

拉致から5日後、金大中はソウルの自宅近くのガソリンスタンドで解放され、自力で自宅に戻った。直後に自宅で記者会見を行った際、日本人記者団に対して解放された直後の心境を、「暗闇の中でも尚明日の日の出を信じ 地獄の中でも尚神の存在を疑わない」と日本語でメモに記した。

事件後しばらく経ってから警視庁は事件にKCIAが関与していたと発表。捜査員はホテルの現場から金東雲・駐日韓国大使館一等書記官(金東雲[キム・ドンウォン]は変名、本名は金炳賛)の指紋を検出し、営利誘拐容疑で出頭を求めたが金は外交特権を盾に拒否。金東雲はKCIAの東京での指揮官と見られていた人物で、逃走に使われた車が横浜の韓国領事館の副領事のものであったことも調べ上げていた。日本政府は金東雲に対しペルソナ・ノン・グラータを発動、間もなく特権に保護されて帰国した。これは日本が初めてペルソナ・ノン・グラータを発動した例であり、同時に2006年4月までは唯一の発動例であった。

警視庁によると「少なくとも四つのグループ、総勢20人から26人が事件に関与した」という。「ファーイースタン・エコノミック・レビュー」の記事によると「朴正煕と関係の深かった町井久之(鄭建永[チョン・ゴンヨン]山口組系東声会会長)がホテルのフロアをほとんどすべて借り切りKCIAに協力した」と書かれている。「ニューズウィーク」東京支局長バーナード・クライシャーは本社に「町井久之はKCIAと緊密に行動を共にし事件の背後にいた。しかし日本のどの新聞もこのことを取り上げない。それは町井の組が自分達を誹謗する者を拷問し殺すことさえいとはないからだ。」との記事を送っている。韓国政府が金大中を中傷する情報を日本の新聞社に流す役割をしていた柳川次郎(梁元錫[ヤン・ウォンソク]山口組系柳川組組長)も関与。日韓関連の著書が多いジャーナリスト五島隆夫によると「柳川は日本の暗黒街の他の人物と同様に児玉誉士夫自民党の後援者・右翼の黒幕)を通じて韓国政府と接触をとった」という。


事件のその後


同事件について、日本政府は主権侵害に対する韓国政府の謝罪と、日本捜査当局による調査を要求していたが、同年11月の金鍾泌(キムチョンピル)首相(当時)の訪日と1975年7月の宮沢喜一外相(同)の訪韓で政治決着を図り、韓国側の捜査打ち切りを確認したが、韓国政府はKCIA職員かどうかも認めず不起訴処分とし、国家機関関与を全面否定していた。

文芸春秋』2001年2月号の記事によると当時首相だった田中角栄が、日本との政治決着で解決を探る韓国側から現金4億円を受け取っていたという角栄の元側近で現金授受の場に同席したという木村博保元新潟県議の証言によると、韓国の李秉禧無任所相(当時)が同年9月、日韓親善協会の活動を通じて懇意だった木村を訪れ、「拉致事件で困っている」と田中首相への面会を求めてきた。そこで木村が調整し、同10月下旬、東京目白の田中氏の私邸を二人で訪問。会談で李氏が「朴大統領の親書です」と封筒を渡すと、田中氏は「うん、うん」と目を通し「朴大統領はお元気ですか」などと話した。また李は土産として、紙袋を2つ渡した。紙袋の中には新聞紙で包まれた現金らしき四角い塊がつめられ、「1つの袋が2億円から2億5000万円、少なく見積もっても合わせて4億円」はあったという。李氏はこれを渡す際、「1つは奥様にどうぞ」と話したが、李氏が帰った後、田中氏が「大平(正芳外相)にも1つやらなきゃならんな」とつぶやいたことから、木村は「奥様というのが政治上のパートナーを意味するのだ、と得心がいった」という。また田中真紀子によると事前に角栄は殺人をしないことを条件に拉致することを了承済であったという。

後年、大統領になった金大中はこの事件を一切不問にするとの立場を明らかにし、韓国政府に対する賠償請求などに発展するおそれのある真相究明を露骨に牽制した。また、1973年11月2日に行われた田中角栄首相(当時)と金鍾泌首相(当時)との会談の内容を収めた機密文書が盧武鉉政権により公開(2006年2月5日)され、日韓両政府が両国関係に配慮した政治決着で穏便に事を済ませようとしていたことが明らかになった。

2006年7月26日、韓国政府は韓国中央情報部KCIAの組織的犯行だったとする結論を出し、国家機関が関与したことを初めて政府として認めた。2007年10月14日北海道新聞によると、「当初金氏を日本の韓国系暴力団に依頼して暗殺することがKCIA内で検討されたが、成功が困難と判断して断念したことを元KCIA職員が証言した」との記事を掲載した。なお、元朴大統領の側近はこの証言を否定している。拉致の目的は金氏の海外での反政府活動を抑制するためだったと別の元KCIA職員が証言し、殺害計画の事実を否定した。

同年10月24日、国家情報院(NIS)の過去事件真実究明委員会は、当時のKCIAによる組織的な犯行だったとする報告書を発表し、韓国政府として事件への関与を初めて公式に認めた。なお、これに対し日本政府は、主権侵害に対する公式謝罪と日本の捜査当局による関係者の聴取を求めた。


(引用ここまで)


いやー改めて振り返ると強烈な事件ですね…出てくる登場人物が「諜報機関・在日ヤクザ・クサレ政治家」と怪しさ満点です。当時の韓国は、激しい南北対立を背景にした朴正煕の強権政治の時代であり、民主化とは程遠く言ってみれば「何でもあり」だったんでしょう。



しかし、自衛隊が追跡していなければ殺害されていたっちゅうのは怖ろしい話です。(金大中はもっと日本に感謝しなさい!)


この時期になぜこの事件が蒸し返されたのかは、大統領選への思惑からかもしれません。(朴正煕の長女・朴槿恵は野党ハンナラ党の有力政治家であり野党へのネガティブキャンペーンかな)


いずれにしても妙なプライドや屁理屈コネてないで、さっさと謝罪してもらいたいもんですが「ま、相手が相手だからね…」





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