「誇り」とは何か 〜自分自身の根っこづくり〜


▲ネットで偶然見つけたブログに紹介されていた写真−原爆投下直後の長崎で撮られた写真だそうです。

読んでて涙が止まらんかったよ…(ノД`)・゜・。




以下、「喜べば喜びが喜んで喜び集めて喜びに来る」様より転載
http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200509240000/



あなたは自分自身に「誇れるもの」がありますか?
あなたが「誇らしい」と思うときはどのような時ですか?


例えば、企業に勤務する人間であるならば、自分の会社をほめられたりそこで働いている事を誉められたりした時に「誇らしく」感じることがあるだろう。

「誇らしい」と思う心をじっと自分自身で見つめてみると、そこに「今を生きる力」を見つける事ができる。自分自身の生き方の力と根っこがそこから生まれる。

若い人達の自殺が多いと聞くが、この「誇らしいもの」が自分自身の中に見つける事ができないというが理由にあると思う。

今の日本人に足りないものは、この「誇り」だと僕は思う。
自分の中に「誇り」をつくる為には努力が要る。
ボーッと生きていても、何も見る事はできない。

自分自身を大切にできない人間は、他人を大切になどできない。
今現在の中に喜びと感謝を見出す事ができない人間は、いつまでたっても幸せにめぐり合う事などできない。幸せというものは人に与えてもらうものではないからである。


ここに一枚の写真がある。




この写真はいつの写真で、どこで撮られたものか。
これは、終戦直後の長崎。
そう、原爆が投下された直後の長崎での写真である。

写真を撮影したのは、「ジョー・オダネル」というアメリカの従軍カメラマンである。ジョーオダネルは19歳の時にアメリカ海軍に従軍し、太平洋戦争(大東亜戦争)に参戦する。当時パールハーバー攻撃を知り、敵国日本に敵愾心を燃やしていた青年ジョーオダネルは、日本の敗戦アメリカの勝利を太平洋の洋上で聞く。




「ざまあみろ!ジャップめ!」
「ようやくこれでアメリカに帰ることができる」


そう思っていた矢先、彼は、敗戦直後の日本の調査を行う事を命ぜられる。
その後、彼ら一行は、敗戦後の日本へ上陸してくるのであるが、そこで彼らが見たものは、自分たちが想像していたような日本人たちではなかった。自分たちアメリカの攻撃によって徹底的に痛めつけられ、家族・親類縁者・友人・知人を失ってもなお、彼ら「日本人」は、アメリカ人の自分達に対して温かく、親切に接してくれるのであった。

その体験が、彼(ジョーオダネル)を変えていく。
そして、そのような時に出会ったのが、写真の少年である。


この少年の背中に背負われた小さな弟。
彼はすでに死んでいる
少年の足元に「線」のようなものが見えるが、その「線」の前に何があるのか?そこでは今まさに、原爆や爆弾によって殺された人々の死体が焼かれていた。つまり「死体」を焼く『焼き場』の前にこの少年は立っているのである。

この写真は、戦争ですべてを失い、両親も失い、そして最後の最後に自分自身がたった一人で守ってきた弟も死んだ、その弟をたった一人で焼き場に「埋葬」に来た少年の写真なのである。

この少年に出会った時の事を、ジョーオダネルは次のように書いている。

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焼き場に十歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。

 少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じつと前を見続けた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ

 私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか。

この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。


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僕が感じた事、言いたい事は何か。
この写真は、ある「平和を訴える施設」に掲示されているという。

「戦争というもので犠牲となるのは、常に弱者である。この少年も犠牲者の一人である」

僕は戦争を賛美するつもりは全くない。しかし、この少年の写真から学ぶべき事は何か。たった一人となっても、自分の弟を丁重に埋葬しに、敵の中にやって来た「勇気」「強さ」、そしてたった一人となっても、生きていこうとする事のできる「生きる力強さ」その事ではないかと思うのである

今の日本人には「日本」という国に対しての誇りが全くないという。しかし、考えてみればそれは当たり前のことで、「教えてもらっていないこと」には「思いを感じる事」もできないし、誇りを持つ事もできない。その心をはぐくんで来たことのない人間は、その心が育っていない。ただそれだけの事である。要は、「学んでいない事がある」「教えてもらえなかった事がある」ということである。


人間は「誇り」なくして生きる事はできない。誇れるものが心の中にあるからこそ、人は力強く生きていけるのである。自分の父親がこんな生き方をしたのだ、自分の母親はこんな母親であったのだ、自分の会社にはこんなに素晴らしい先輩がいたのだという事を知ったとき、人が誇りを持つ事ができるのと同じように、日本の先人達の中にも、世界に誇れる素晴らしい「日本人」がたくさんいたのである

この写真の少年も、生きていれば70歳以上である。まだ御存命かどうかはわからないが、この方は、写真に撮られたということさえ知らないであろう。しかし、その一枚の写真に残った「生き様」が、人の人生を変えるほどの力があるという事を教えてもらったような気がしたのである。


(引用ここまで)

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普段おバカなニュースをほじくり出して駄文ばっか書いてますが、この写真と文章には参りました…。


写真で見る限りわずか10歳にも満たない少年が見せたこの強さ…衝撃を受けると同時に戦前の日本人の凄さを改めて考えさせられました。


ワシも正直に告白すると、戦後民主主義教育のなかで「戦前の日本人は悪いコトをした」「アジアの諸国を侵略・搾取した」と教えられ、若い頃は戦前から生きてこられた祖父や祖母の戦前世代に対して、正直イイ印象はなかった。それどころか「爺ちゃんらが悪いことしたから俺らがお詫びしなきゃ」と信じ込んでいたくらいだ。ほんの10年ほど前までは「日本」という国に対しての誇りなんか全く持ってなかったんだよね…


このブログ主の「幸せなスーパーマンさん」も書いておられるが、


「教えてもらっていないこと」には「思いを感じる事」もできないし、誇りを持つ事もできない。その心をはぐくんで来たことのない人間は、その心が育っていない。

人間は「誇り」なくして生きる事はできない。誇れるものが心の中にあるからこそ、人は力強く生きていけるのである。自分の父親がこんな生き方をしたのだ、自分の母親はこんな母親であったのだ、自分の会社にはこんなに素晴らしい先輩がいたのだという事を知ったとき、人が誇りを持つ事ができるのと同じように、日本の先人達の中にも、世界に誇れる素晴らしい「日本人」がたくさんいたのである。



まさしくそのとおりだと思う。


教育基本法の改正論議で「愛国心なんか教えられるもんじゃねぇー」とほざいてた人も多いが、自分の国や先人達を誇らしいと思える感情は教えられたり或いは考える機会を与えないと育つわけないよね。


ブログを拝見する限りもう1年以上更新されていないようですが、いろんなことを考える機会を与えていただいたことに感謝を申し上げたいと思います。




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