盧武鉉流「暴言の政治学」

(・∀・)チョイワル&暴言酋長に対する朝鮮日報の分析…的確かも




盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領の言葉はその内容はもちろんのこと、一般人の口から出たとしてもけんかになりそうな暴言で問題になることが多い。大統領になって4年が経過していることも忘れるくらい、暴言や無責任な発言が溢れている。なぜだろうか。


◆意図的な挑発

盧大統領の言葉は2つの側面で極端に突っ走る。1つ目は、キリスト教圏に対する敵対意識の露骨的な表現だ。「あの偉そうな大学教授、国会議員、社長、みなが船で遊びに出かけて風や波にやられてしまえば…」で始まる、1980年代末の現代重工業のストでの演説が代表的だ。今回の民主平和統一諮問会議(民主平統)での演説で出た「たいしたことないのに偉ぶっているのではないか 」「邪魔してやれ、突然どこからともなく転がり込んできたやつ」といった表現も似たようなものだ。そんな盧大統領はかつて「怒りのために政治をする」と話したことがある。

もう1つは常識破壊だ。「反米ならどうだと言うんだ」と言い放った2002年の大統領選挙候補当時の演説、就任直後に検事との対話での「このくらいになれば無礼者ってって言うんだろう」などという言葉が代表的だ。

このような言葉は、政治的効果を極大化するための意図的な挑発の性格が強い。青瓦台(大統領府)の参謀らの中にも似たような言葉使いをする人が少なくない。



◆幼い頃の経験が体質化

しかし、常に準備していた言葉だけを発しているのではない。こうした悪口に近い無責任な発言はこれまで長い間体に染みついたもので、本人も直そうとしているがうまくいかないのだという。盧大統領は大統領選挙候補だった2002年8月、ある私的な席でこのような話をしたことがある。「雰囲気を台無しにするやつ」「乞食」など、多くの乱暴な言葉のせいで支持率が10%台中盤にまで落ちたときのことだ。「わたしは悪口が癖になっている人間だ。高校を卒業し、荒仕事をしていたときに身についた。最初から最後まで悪口だった」

1966年に釜山商業高校を卒業後、釜山と蔚山で数カ月間埠頭や工事現場で労働者として生活していたころの話だ。このような経験をした後、子育てをするときも影響があったというのが盧大統領の述懐だった。



◆聴衆の意に添うようにとの心理も

盧大統領は普段は、「恥ずかしがり屋なんだ」と感じさせるほど、人に接するのが苦手な方だ。しかし、大衆演説のときにはとても激情的で、暴言混じりだ。何か一言言わなければならないという強迫観念があるようだ、という話をよく聞く。

盧大統領は2005年4月、トルコでの同胞との懇談会で「米国人より親米的な考えを持っているという話をする人たちが、わたしにとっては最も大変だ」と発言し、大きな波紋を呼んだ。盧大統領が帰国した後、ある参謀が「なぜあんなことをおっしゃったのですか」と尋ねた。盧大統領は気まずそうな表情で「あの日は若者が前列に10人ほど立っていたので、ただ一言言ってやろうと…」と答えたという



◆争いを起こして政策を台無しに

盧大統領の放言にはこのようないくつもの側面がある。そのため、どこまでが意図されたもので、どこまでが誤りなのか、見分けるのが難しい。一方では既に誤解をし、大統領府でそのような意味ではないと解明することがしばしば繰り広げられる。大統領選挙候補ではなく、任期4年目の大統領のこうした言葉の癖は、結局争いだけを生むだけで肝心な政策を見失わせている


ソース・朝鮮日報
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/12/26/20061226000056.html



_____________________________________________


日本にも口の悪い政治家はいるし、トップリーダーでありながら立場をわきまえない言動でヒンシュク買う政治家もいるけどね(森喜朗とかその代表例かな…)


それにしても、ノムタンはズレまくりの上に暴言だからな…


しかし、「恥ずかしがり屋さん」なクセに演説では暴言交じりに一発かまさずにはいられないって…やっぱりなかなか味わい深い人格ですな。



ノムタンには外野の反発も忠告も気にせず、是非このまま突っ走ってもらいたい!!




クリックして応援してね♪ 人気blogランキングへ