「生き証人として抗議」 元慰安婦が上田埼玉県知事訪問
コロコロ証言内容が変わる嘘つき婆さんが生き証人って言われてもなぁ…( ´ー`)y-~~
昨年6月の県議会で上田清司知事が「慰安婦はいても従軍慰安婦はいない」と答弁したことを受け、来日中の韓国人元慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)さん(78)が1日、上田清司知事と県庁で会談した。
会談は約20分間、非公開で行われた。終了後、李さんは会見を開き、「私は(日本)軍に強制的に連れ去られた。生き証人として抗議しに来た」と説明。「慰安婦と従軍慰安婦で何が違う」と声を荒らげて「本当は慰安婦の話なんかしたくない。でも私はここにいる」と涙ながらに訴えた。
一方、上田知事は「李さんは私が慰安婦はいないと言ったと思われていたようだ」と話し、「慰安婦はいた。異常な戦争状態では強制連行もあったと思う」と説明。「『従軍』というのは、ぞろぞろと行軍することを指し、証拠もないのに安易に『従軍』という言葉を使うのは英霊に対して失礼だ」と強調し、争点がかみ合わないままに終わった。
上田知事の答弁をめぐっては、昨年7月に上田知事が「いわゆる従軍慰安婦問題に関する私の考えについて」と題した説明文を発表。10月に李さんと市民団体が知事に面会を申し込んだが、議会を理由に断られていた。李さんは15日に米下院外交委員会で被害を証言後、帰国途中に立ち寄った。
ソース・Sankei WEB
http://www.sankei.co.jp/chiho/saitama/070302/stm070302001.htm
________________________________________________________
2日連続の慰安婦ネタになっちゃった
この李容洙(イ・ヨンス)というお婆さんについては、しょっちゅう証言者として登場してるようだが、コロコロその内容が変わるので有名な方ですね…(・ω・)
※以下、散歩道さんのブログより転載 http://kuyou.exblog.jp/1395483/
【慰安婦は一人で複数の人生を歩む】李容洙さんの場合
先日こちらで紹介させていただいた、細田官房長官を謝罪させてくださった李容洙さん。
この人のプロフィールは複数存在するようです。
これは先日紹介したもの
1928年韓国の大邱(テグ)生まれ。1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。
移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。
その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。「慰安所」では
1日に何人もの兵士の相手をさせられ、抵抗すると電線のようなもので電流を流されたり、丸太で叩かれた
りの暴行を受けた。「解放」(日本の敗戦)後、しばらくしてから韓国に戻る。
http://www.geocities.jp/kesenai_kioku_04/kyoto/profile.htm
16歳から三年間です。
1944年から1947年、終戦後も慰安婦していたことになりますね。
で、これは共産党の紹介文
韓国の李容洙さん(74)は、十四歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、 拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し、「私は歴史の生き証人として今、生きている。この法案が審議され、成立することを望む」と語りました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-06-26/13_0201.html
14歳。
ええと、この場合1942年から慰安婦をしていたことに。
で、こちらが本日京都で行われてた集会のチラシです。
これは最初のプロフィールと同じですね。
1928年韓国の大邱(テグ)生まれ。
1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。移動中の 船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。その後、連れて行かれた先の台湾で、 日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。「慰安所」では1日に何人もの兵士の 相手をさせられ、抵抗すると電線のようなもので電流を流されたり、丸太で叩かれたりの 暴行を受けた。「解放」(日本の敗戦)後、しばらくしてから韓国に戻る。
http://tateiwa.kir.jp/0n/z01.htm
一体慰安婦にはいくつの人生があるんだろう。
※転載ここまで
ハイ、ということでこんなに証言に信憑性のない人に「生き証人」って言われてもねぇ…
婆さんそれ全然違うだろ!ヽ(;´Д`)ノ
「私は(日本)軍に強制的に連れ去られた。生き証人として抗議しに来た」
この婆さんの脳内ではこういうイメージが膨らんでおるようですが…
▲朝鮮人(韓国人)と反日日本人(市民団体)による従軍慰安婦想像図
実際はこういうことなんだろ…
▲民間の慰安婦募集広告
▲募集に集まった慰安婦たち
戦禍によって苦難の時代を生きてこられ、本意ではなく「慰安婦」として働かなければならなかったというこのお婆さんの人生については同情するが、軍に強制的に連れ去られたというありもしないことを喚きたてて日本人から謝罪させよう賠償金を得ようなんて話になると、「チョット待ったれや婆さん!」となるわな…
上田知事の「証拠もないのに安易に『従軍』という言葉を使うのは英霊に対して失礼だ」ってのはGJですが、知事は優しいなァこんな婆さんに会って話を聞いてあげるなんて…
クリックして応援してね♪ 人気blogランキングへ