君が代伴奏拒否教諭最高裁判決論評 その2


(・∀・)岩手の雄・東海新報名物コラム「世迷言」キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!



ヽ(;´Д`)ノ 君が代伴奏判決 異見つぶす風潮は怖い by 中国新聞 …




東海新報「世迷言」

君が代伴奏命令合憲」…昨日の新聞にそんな見出しを見かけて、うんざりした。入学式で君が代のピアノ伴奏をしなかったとして戒告処分を受けた女性音楽教師の訴えを、最高裁が退けたという記事で、伴奏を命じた校長の職務命令は憲法に反しないというものだ▼当たり前のことだが、それが当たり前でないところに日本の不思議さがある。思想、良心の自由を損なうからピアノ伴奏を拒否したという理由がそのまま認められるなら、学校は音楽教師を採用する時、その点を質す必要がある。「君が代だけは弾けません」というのなら当然不採用となる。しかしそんな思想調査は許されまい▼採用するからには、音楽教師としての職務をまっとうしてくれるだろうという前提の下に選考するのであって、「国歌、国旗は嫌い。強制はいやだ」と最初から旗幟を鮮明にし、それでよかったら採用して下さいというのであれば、採用した側も職務命令は出すまい。しかし公教育というのは教える側にも教えられる側にも強制はともなう▼それがなければなんでも自由ということになろう。伴奏はおろか、指導要領も校長や教頭の指示も無視なんて自由が許されたら規律は成り立たない。もし思想、良心が服務規定より優先されるのなら、さっさと辞めてそれが認められる職場に移ればいい。それがいやなら面従腹背でも心の中で信条を守ればいいのである。そこまで誰も立ち入らない▼「国旗国歌に尊崇を払わない国家というものを、私は訪れたことのある百十数カ国で見たことがない」と作家の曾野綾子さんは言い、日本では平和教育という名の下、それがおろそかにされている現況を指摘するが、こんな戦術からはそろそろ“卒業”する時だろう


ソース・東海新報
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/column.cgi


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(・∀・)GJ!東海新報! このわかりやすさは貴重だな


ホント国旗や国歌をオモチャのように扱う稚拙な戦術からは卒業した方がいいよ日教組は…(・ω・)





中国新聞 社説 「君が代伴奏判決 異見つぶす風潮は怖い」



小学校入学式での君が代のピアノ伴奏を拒否した音楽教諭に対する、校長の職務命令は、思想・良心の自由を侵害せず合憲、との最高裁判決が出た。東京都教育委員会の戒告処分取り消しを求めた上告を棄却、原告敗訴が確定した。

教育現場における一連の国旗・国歌をめぐる問題には、ともすれば均質化・画一化に走りがちな日本人の精神構造がうかがえ、それが過度のナショナリズムと結びつく危うさを感じさせる。

君が代での最高裁初の判決は、五人の裁判官の一人から反対意見が出されたり、その反対にこたえた内容とは思えないなど、問題も残しているのではなかろうか。

音楽教諭が伴奏を拒否したのは一九九九年八月の国旗国歌法制定の前。「君が代は過去のアジア侵略と結びついており、子どもに歴史的事実を教えずに歌わせることはできない」と主張した。一、二審の東京地裁、東京高裁は「公共の福祉から思想・良心の自由も制約される」などとして、請求を棄却、原告が上告していた。

最高裁判決では「伴奏の職務命令は原告の歴史観、世界観を否定しない」し、「思想・良心の自由を侵害しない」と、職務命令そのものが思想の自由を侵害するとは認められない、としている。それに対して、藤田宙靖裁判官の反対意見は「君が代の評価は国民の中で大きく分かれている」とし、思想・良心の自由と、制約要因となる「公共の利益」との比較、検討を求めたが、判決では「公共の利益」の内容は検証されていない。

現実に、音楽教諭は前もって伴奏できないことを伝え、伴奏テープも用意されていた。それらの事情も踏まえて、伴奏を強制する「公共の利益」とは何か、処分の妥当性は―といった検証がもっとあるべきではなかったか。

米国で子育てを経験したある大学の先生は「米国でも日本でも、褒める教育の大切さがいわれる」という。しかし、その中身は大違いで、日本では教師を含めたみんなと同じ意見を発表すると褒められるが、米国ではみんなと違う意見を言うと褒められる、という。日本人は体質的に均質化に向かう傾向があるようだ。それが背景にあったから、無謀な戦争に突入したのではなかろうか

教育改革の方向が「愛国」の合唱や、国の権限拡大に向かいそうなときこそ、異見に耳を傾ける必要があろう。教育行政にはそうした意味の慎重さを求めたい


ソース・中国新聞
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200703010124.html


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教育現場における一連の国旗・国歌をめぐる問題には、ともすれば均質化・画一化に走りがちな日本人の精神構造がうかがえ、それが過度のナショナリズムと結びつく危うさを感じさせる…


この論理の飛躍っぷりを見よ…(・ω・)


さすがに「国旗国歌法案」成立のキッカケになったとされる世羅高校校長自殺事件(※参照)を生んだ広島県の地方紙である…



広島県世羅高校校長の自殺の真相 アッサヒ・コム(アッサヒ新聞社)
http://www.assahi.com/shakai/shakai0415a.html


この校長可哀相すぎる…(´Д⊂ヽ




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