必要なのは発想の転換=在日ミュージシャン・趙博さん
大阪の学校には「非行は宝」という言葉がある…
(・ω・)…聞いたことないけどホントにこんな言葉あるのかな?
【学校と私】
僕は在日朝鮮人として大阪の被差別部落に生まれ、劣悪な住環境の中で生後2週間で右目を失いました。西山と名乗って朝鮮人という事実をひた隠し、隻眼(せきがん)をバカにされまいと、勉強、けんか、スポーツ、何でも一番やないと終わりなんやと必死でした。学校は一瞬も気が抜けない戦場だったのです。
最難関の高校を目指した中学3年の冬。「出世したる。この家にいたら未来はない、飛翔(ひしょう)せよ」を生活訓にし、1日4時間の睡眠。これがたたって結核になり、生死をさまよい受験はパー。境遇への憎悪から卒業証書を燃やしました。
でも、妥協して入った高校が良かった。保健室の美人な先生に勧められ、萩原朔太郎や井上靖らの詩や小説に触れ、吉田拓郎、ボブ・ディランらのフォークソングにはまった。文学と音楽を愛する格好いい自由人を目指しました。
大学では、学生運動に没頭。予備校講師を18年務め、「ロックで学ぶ入試英語」など好き放題やりました。でも、「未来形の『Will』に何で過去形があるのか」などとこっけいでも、講師をうならせた生徒たちが、「この参考書をやれば〇○大学に入れますか」と年々おかしくなった。ギラギラさがない。予備校では、国が仕掛けた偏差値競争と闘う反権力闘争だと信じてやってきたのに、今やすり寄るばかり。塾の最終講義では、闘争の敗北を認めつつ、「おまえら終わっとるんじゃ」とぼろくそに言ってやった。
学校でも、子どものいじめが陰湿化し、被害者と加害者が入れ替わる。1回どついたら友情は修復不可能。おかしいやろ。娘が、小中学校で不登校になったが、その豊かな感受性から不登校になったことを心底誇りに思います。
大阪の学校には「非行は宝」という言葉がある。必要なのは、こうした発想の転換。学校に期待するよりも、僕らおやじが人生を楽しんでいる姿を子どもに見せましょう。<聞き手・大場弘行>
■人物略歴
◇ちょう・ぱぎ
1956年、大阪市西成区生まれ。65年、韓国籍を取得。同市の鶴橋や京橋など下町への慕情を歌う「橋」が有名。02年から映画のストーリーをギターで弾き語る「歌うキネマ」を始め、注目を集める。
ソース・MSN-Mainichi INTERACTIVE
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/gakkou/news/20070226ddm004070032000c.html
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なかなか香ばしい持論を展開されているようですが、
結局、この人何が言いたいの?
この人が反体制的でかなり普通の感覚とは違うってのはわかったけど (・ω・)
在日云々はどうでもいいけど、こんな人に変わったこと言わせるのが毎日の教育を考えるスタンスなのかと…
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